広島全学連差別事件の差別性

2007年 11月 15日(木曜日)

 今回の事件は、全人間の解放を目指すはずの革共同が仕かけた全国連への差別攻撃だと、はっきり示すことができます。ではこの事件のどこが差別攻撃なのか、くわしく見ていきます。

1、「差別ではない」という完全な差別の居直り

 まず言えることは、差別発言をした学生たちは部落差別問題について他人事のように考えている。だから全国連の青年に対して、無意識のうちに差別発言をしている。しかも差別を居直っている。どれほど重い部落差別をして部落青年を傷つけたか。その認識はないのです。

 にもかかわらず、この学生たちは広島大学において革共同の指導下で学生運動を展開し、労働者主体の社会建設を目指すための革命の必要性を訴えている。それなら、なぜ労働者の仲間である部落民の訴えや部落差別の現実、厳しい生活実態を学ぼうとしないのか。その姿勢がこの度の事件をもって完全に欠落しており、そこが部落差別である。

2、「物取り」住宅闘争の完全否定

 なりよりも住宅家賃値上げ反対闘争がどのような経緯でたたかってきて、住民がどのような思いでたたかってきたかの意義や根拠を学生は何も知っていないということ。さらに、その内容を訴えても理解しようとしていません。

 広島の福島地区においては、太田川放水路建設にともなう立ち退きを強いられ、住民が泣く泣く自分の田畑や土地を市に提供した。さらに、100m道路(平和大通り)建設でも立ち退きを強いられ、ムラが二分された。そのため追い出された住民が生きるために、差別をなくすために住居の提供を求めて行政とたたかい、改良住宅を建てさせたのです。

 だから住宅は我が家と同じ。それを広島市が10年前施行の公営住宅法により、応能応益家賃制度を押しつけ、今までの2倍、3倍の家賃を請求してきた。差別が存在し、生活も大変ななかで、「これ以上値上げされたら生きていけない!」と住民の決起で供託してたたかってきた住宅闘争。それを「物取り」というのは、たたかう住民を侮辱した、完全な住宅闘争の否定です。ある住民は「私たちの土地を奪って、さらに家賃も値上げしてきた行政のほうが物取りだ。私らはとられてばっかりだ」と反論しています。

 学生は10月15日の確認会で「物がとれなくても団結がかちとれば勝利だ」「物取りとは言ってない」と、勝手な見解を述べています。けれど、差別された青年は学生が「住宅家賃値上げ反対闘争が物取りだ」と言ったのをはっきりと覚えています。住宅闘争の中身を知らない学生に勝手な見解を言われる筋合いもないし、事実をねじまげる学生の態度こそ部落差別です。

3、「糾弾は相手の人格を否定する」=差別者側に立ったうえで、部落民の人格・人間性を否定する差別発言

 これを発言した学生は、部落民にとって糾弾はどのような役割を果たすものなのか全く理解していない。これもまた勝手な論理「差別した側の人権を擁護する立場」で位置づけている。何と言うことか! 部落民が自主的に決起し、「差別をゆるさない!」と相手に訴えることによって、部落民自身の人間性や階級性を取り戻す、生きていく上でぜったいに必要なたたかいであり、部落民の権利だ! これまで差別によって奪われた命がどれだけあることか。

 また糾弾は差別者の自己批判を求め、糾(ただ)されて自己変革をすすめるための行為です。部落差別は、労働者階級全体に向けられ、労働者の分断、搾取を目的とした攻撃です。実際に国家権力だけでなく労働者も部落民を差別します。そうやって国家の差別扇動にのせられ、戦争に加担してきた歴史を今しっかりととらえ返すべきです。だから、差別者が糾弾されたことによって、自分の差別性を克服して、自らも全人間の解放を掲げたたかう立場にたつことで、差別糾弾が意味を持ってくるのです。むしろ一般の労働者こそ差別による階級の分断を見抜き、部落差別とたたかう主体として登場し、部落民と団結すべきなのです! 差別を許さない労働者は、真の解放を目指してともにたたかっていきましょう!

 糾弾の否定は、差別とたたかう全国連・部落解放運動自体の否定であり、解放運動の放棄、差別とたたかわない姿勢を明確にしています。これは同時に自身を革命家と名乗る資格も投げ出したことにもなります。そんな人が「革命だ!」と訴えても周囲は受け入れませんよね。

4、「差別かどうかはこちら(革共同)が決める」=「部落民は差別されても文句言うな。」 部落差別を肯定・擁護し、部落民の糾弾闘争を解体する攻撃だ

 学生たちの部落差別への無自覚を、学生の指導者である革共同の役人が利用して、「差別ではない」ことで意思一致させてきたと考えられる。その上で、学生は10月15日の事実確認会で全国連から糾弾を受けても「差別と決まってないのに謝る気はない」とまで言い放っている。さらに役人は「差別事件でない。全国連の青年には関係ない。革共同内部の問題だ」と差別された青年の訴えを踏みにじっている。さらに、この事件の責任を「訴えてきた全国連が悪い」と完全に差別を居直っている。

 ようするに、学生と革共同の役人は「全国連と話し合うのは間違いだ。全国連の青年には関係ない。革共同の組織内で解決する」と言ってきた。おかしい! そこに差別された本人が入ってないではないか! その人をのけ者にし、ウソで応対する。よって「差別かどうかは部落民には関係ない。こっち(革共同)で決める」態度を示したのだ!

 これは革共同が部落民の自主解放性を否定して、革命の名のもとに「お前ら部落民はだまってろ。言うことに従え」とファシスト的強制をはかってきたのだ! 断じて許せない!

5、「中田書記長はリーダーとしてふさわしくない」=全国連そのものを批判し、分断・解体を持ちこむ発言

 全国連中央本部の中田書記長は不当な弾圧を受けたとき、完全黙秘できずに略式起訴で奪還されました。学生は黙秘できなかった点を批判し、「書記長はリーダーとしてふさわしくない。全国連は新しい体制にすべきだ」と発言しました。
中田書記長は全国連になくてはならない存在です。これまで苦しい思いをしながら荒本闘争や全国連建設とその運営をリードしてきました。このように全国連が血と汗を流してたたかってきた地平を学生は何もわかっていません。部落民の指導的立場にある書記長に対して、他団体の者がいとも簡単にこの一点だけみて「ふさわしくない」と言うのがナンセンスだ!

 10月15日の確認会では、学生の中島が個人的な見解で述べ建前上謝罪した。しかし実際は以前から革共同で「中田書記長打倒路線」が打ち出され、全国連支部員にも「その路線で全国連をオルグしろ」と迫ってきたのだ。何と言うことか! これはまさに革共同によって「自分たちのいいなりになる全国連」につくりかえて同盟員をバラバラにする、全国連の解体・分断攻撃である! ここまできたからには全国連がひとつになって、革共同に対する差別糾弾闘争にうってでよう! 革共同の差別性をはっきりさせよう!