元革共同所属・南関東運輸労働者より

元革共同所属・南関東運輸労働者より

 部落解放同盟全国連合会の皆様の革共同糾弾闘争に、断固連帯、支援いたします!

 私は、約1年半前まで革共同に所属しておりました。関東地方で運輸労働者を10年近くしており、30名ほどが所属する労働組合の役員をしております。年齢は40代前半です。私は、1年半前に「大庭パンフ批判(※ 労働運動活動家が自主発行したパンフレットを革共同中央指導部が行った全面批判)」を契機に、「この党は反労働者党に変質した」、「労働者党は現場の闘いのなかから再生される以外ない」と決意し、約15年所属した党を離党しました。現在は、革共同の分裂したどの派閥にも所属していませんし、肩入れする気もありません。しかし、三里塚反対同盟、部落解放同盟全国連合会はじめとした、従来革共同が支援を行ってきた大衆団体の活動には、現在も尚大いに連帯し、今後とも可能な形での支援を行いたい意思は全く変わりません。

 「〈部落差別のない糾弾〉の階級的本質はなにか ―「原表現」は「7月テーゼ」をめぐる路線提起だ!― 小山たかし」論文(以下、小山論文、茶色部分)を読んで、これへの私見を述べたいと思います。

 また私の結論は、小山論文断固弾劾であり、このような差別主義者集団となりはてた革共同中核派を断じて許すことはできません。私も共産主義者の矜持にかけて、断固闘います。


第1 小山論文の論点整理

 小山論文の論点は次のように整理される。(抜粋、原文のまま)

【結論】

 「部落解放運動史上に類例のない〈部落差別のない糾弾〉が、部落解放同盟全国連合会中央本部(以下、全国連)のもとに進められつつある」

 「『党の革命』への『意趣返し』…『差別糾弾闘争』のねつ造…差別糾弾闘争をもてあそんではならない」

 「そもそも差別糾弾にあたっては、

 【1】『原発言』、あるいは『原表現』が部落差別として認定・確認されることが決定的であり、きわめて重要である。それぬきには、糾弾は成立しない。

 【2】そのさい、『意識的な発言』であるか、『意識しない発言』であるかの問題

 【3】発言(表現)の対人関係(誰と誰との間で起こったか)なども確認されるべき


第2 小山論文の主張整理

 また、それら論点に関する主張は次の通りです。(抜粋は原文のまま)

 【1】に関し

 〈『広島』をめぐる問題〉では、「原表現(原発言)には、部落差別はなかった」ということが、ゆるぎのない真実であり、偽らざる事実である

 A「(『7月テーゼ』は)差別とどうたたかうかの内容がない。部落民にばかりあーせい、こーせいと言っているようで、読んでいるとむかついてくる」

 B「『7月テーゼ』は部落民一般に対して言っているのではなく、共産主義者はどうあるべきかという趣旨で全体を論じている。だから、『部落出身の共産主義者は…』と書いてあるじゃないですか。むしろAさんの今の態度は、ここで指摘されているような『戦線の利害代表としてふるまう』態度ではないか。あなたが共産主義者た
らんとするなら、そういう態度は改めるべきではないか」


 【3】に関し

 「Aは広島の部落出身女子学生であり、マルクス主義学生同盟の一員である」「Aと一般民女子学生のB」「Aは部落出身のマル学同の一員である。合宿のテーマになった「7月テーゼ」を掲載した『前進』は、革共同の「機関紙」であり、組織の構成員に新たな思想内容として武装することに加えて、実践を要請していたことは明白である。マル学同は、革共同を構成する学生組織である。また、革共同は、共産主義者と共産主義思想を基盤とした労働者階級の前衛党であるから、民族・階層・「身分」・性・などなどを超えて形成された共産主義者の政治的結集体にほかならない。したがって、その成員が「部落民であるか、ないかは一切問わない」のである。


第3 小山論文への批判的私見

1、原表現は、れっきとした部落差別である

 論点【1】について。「Aさんの今の態度は、ここで指摘されているような『戦線の利害代表としてふるまう』態度ではないか。あなたが共産主義者たらんとするなら、そういう態度は改めるべきではないか」Aさんは20代の女性である。マル学同に加盟し、共産主義者たらんとして、苦闘する状況にあったであろう。部落民としての出自をもち、また女性差別が横行する中、幾重にものしかかる社会的差別を引き受けながら、共産主義者たらんと苦闘する過程は凄絶なものである。そうした者を「戦線の利害代表としてふるまう」ことを禁じ、ただちに差別を超克した「共産主義者」となることを、被差別階層以外の者が「のたまう」こと自体、差別である。ただ、Bさんもまたやはり若いマル学同所属員なのであろう。であれば、マル学同内部での議論に付し、革共同はこれら問題を正しく整序するよう支援すべきであった。そして正しく糾弾されるべきであった。しかし問題は、革共同が差別の上塗りをし、公認したことにある。小山氏は古参の党員であり、経験多き党員である。こうした人物が平然と、いまだに差別を垂れ流して恥じないことに、革共同の犯罪性が現れている。また論点【3】、構成員が「部落民であるか、ないかは一切問わない」などという主張も、暴論である。

2、差別糾弾に差別者の「差別意識」の有無が問われるなどという問題提起自体が論外

 論点【2】について。これは、全く論外の主張である。公衆施設への差別落書きをする者に「差別意識があるかないか」ということまで、差別性検証の判別基準になってしまう。小山氏もそこまでを認めはしないであろうが、小山氏自身が差別問題に内在するデリケートな論理性を検証もしないままに、このような基準を簡単に書き出してしまうこと自身、同氏が差別問題を軽視している証拠である。


第4 革共同7月テーゼ及び同党の差別主義者集団としての本性

 次の小山論文の引用からわかることは、革共同はいまや差別主義を党的路線として公認している集団であるということだ。これから、第2、第3の広島事件を発生させてはならない。今時点で革共同による差別は再生産され続けている。私も反差別の闘いを断固闘いぬきたい。

 (以下、小山論文引用)

 「例えば、部落民出身の共産主義者は、自己をまず労働者階級解放闘争を闘う主体として徹底的に確立することによって、全部落民の解放を求めて闘う主体としての自己をも真の意味で確立することができるのである。この関係を逆転させて『部落民としての自覚』を一切の出発点に置くことは、部落解放闘争をプロレタリア革命の上に置くものとなり、実際にはプロレタリア革命をも、部落の真の解放をもともに否定するものとなってしまうのだ」「この箇所は、部落差別発言とは無縁の表現なのである」「部落民出身の共産主義者」が批判的に指摘したからといって、指摘をうけた内容が、直ちに、「部落差別となる」などと言うことはありえないし、もしも、「『あった』と主張するメンバーがいた」とすれば、「階級は党である」とするテーゼへの反対論者であり、マルクス主義に敵対する思想にほかならず、このような、「階級と党の上に君臨する部落民絶対主義」の誤りは全面的・根底的に批判されなければならない」